生まれてきた人は必ず「死」を迎えます。死亡率100%です。
私たちは神様じゃないので蘇らせることはできません。それでも「医者に見捨てられた」に類似した言葉をよく耳にします。
このようなときはどうすればよいのでしょうか?
完璧な正解はわかりませんが、呼吸の速さを同調させ、沈黙の間を大切にし、しっかりと向き合います。いわゆる介護・看護の基本的技術である「傾聴」です。
一緒に笑い、泣いたり、背中をさすったり、今その一瞬を共有します。
特に終末期の方には、このような時間が大切になります。
病気は治らなくても、ありのままの相手を受け止め、共に生きる時間を大切にします。
「何かをすることが大切ではなく、そこにいるだけでいい」です。しかし・・・
これがなかなか難しいのです。「何かしたくなる、してあげたくなる」のが人間の性質。
しかし、成すすべがなくなると、何もしてあげられない罪悪感や虚しさに苦しくなるのだと思います。「それでも逃げずにそばにいる」ことが大切なのです。
そうでなければ、病気も治らない、身近な人も去ってゆく、病気だけでなく孤独感とも戦わなければならなくなります。
病気や寿命によってその人の「時間」に限りがあるならば、人との「関係性」を強くして、生きている意味を見つけることができるといわれています。何かをはなさなければ!ではなく、「心を傾けて聴く」「傍にいる」だけでよいのです。
そうなれたのは、『死』を自分事として考えるようになったからだと思います。
「他人事」から「自分事」に変わったとき、思いを伝える側の気持ちがわかるような気がしたのです。
終末期の人はその限りある時間の中で、消耗した体力を最大限使いながら、言葉を選んで「あなた」に語りかけてきます。「私だったら」誰に何をかたりたい?日ごろからこんなことを考えていると、身構えることなく、自然体でそこにいることができます。
難しく考えずに、まずは「私だったら・・・」をちょっと想像してみることから始めてみましょう。そして「語り合う癖」を身につけましょう!
一部引用文献 傾聴研究
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